身土不二(しんどふじ)という言葉は、人の命と健康はその土地とともにあるという考え方を表しているらしい。
食事はその土地、その季節の食物を基本にすることを良しとする、いわば地産地消の発想だ。
北海道から離れて大阪に住み、久しぶりに帰ってくるとしみじと地元の味、ふるさと食のありがたさや美味しさを再認識することができる。
海の幸、山の幸を問わず、それらを体が要求していたらしく、懐かしさや美味しさとともに骨の髄まで染み渡るような感覚、しびれにも似たような何とも言えない幸福を感じつつ腹を満たす。
大阪で暮らし、今まで見たこともないような魚介類を食べることができたのはとても良い経験ではあったが、焼いて食べたら良いものか煮て食べたら良いものかすら分からず、戸惑いも大きかったのは事実だ。
そして、それはそれなりに美味しく食べていたのだが、やはり生まれ育った土地で採れた作物や海で捕れた魚介類を口にすると、遺伝子レベルで脳や体が味を覚え、必要としていたのだと思ってしまうほど美味しさを感じる。
それは水や空気にも共通することであり、正直に言うと大阪での生活は何か圧迫されているようなズシリと重い空気を吸い、北海道と比較すると硬質で重い水を飲む毎日で、心身ともに健康だったとは言い難かった。
こちらでの生活を始め、空気も水も、そして食べ物も地元のものを摂取すると、心身ともに浄化され、体の内側から再生されていくような感覚を覚える。
それというのも北海道が自給率 200%の食の宝庫であり、余程の季節の乖離がない限りは道内産の野菜や魚を食べることができるのが幸いしているのは確かだ。
感覚的に、大阪では地元産のものが 10%以下、国内産のものは 30%以下、その他はすべて輸入物だったように思う。
ところが北海道では地元のものが 50%、国内産のものが 30%、残りの 20%が輸入物といった感覚だ。
それだけ食べ物が豊富で、いつも新鮮なものを食べられるのだから、その味が脳や体に染み込んでいるのも当然のことかも知れない。
そして、美味しさだけではなく地元の海で育った魚を食べ、地元の土と水で育った作物を食べると健康状態も良好に保つことができるような気がする。
もちろん、それなりに歳を重ねてしまったので体のあちらこちらにガタがきてしまっているが、少なくとも胃腸や精神面は実に安定しており、おだやかな毎日を過ごせているのは食生活が充実しているからではないだろうか。
仕事でイライラしたり、多少なりともストレスを感じたとしても、美味しい物を食べて美味しい空気を吸っていれば精神的に安定するし、深く思い悩むこともない。
ただ一つの欠点は、あまりにも美味しすぎて、つい食べ過ぎてしまうことだ。
禁煙したことも要因の一つだろうが、北海道に帰ってきてから 10キロも太ってしまった。
それでもふるさと食は、心と体に栄養を与えてくれる実にありがたいものなので、食事の量を減らすこともなく美味しく食べる毎日を過ごしたりしている。
- 参考 -
ふるさと食の効用(その1)
ふるさと食の効用(その2)