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最近の若い者は最近の若い者は

最近の若い者は ~目次~

オッサン化の象徴であり、禁句とも言える言葉であるが、どうしても口を衝いて出てしまう。

どう考えても今の20歳の若者は自分が20歳の頃と比較して幼い気がしてならない。

それは見かけもあり、思想でもある。

1960年に 67.7歳だった平均寿命も 2008年現在で 82.6歳まで伸び、細胞の活動も伸び伸びになってしまったのだろうか。

つまり、平均寿命が 60歳だった頃の 20歳は人生の 1/3地点であるからして、平均寿命 80歳の現在では約 27歳が 1/3地点であり、精神的にも肉体的にも 50年前の 20歳と同じ成熟度に達するのは 30歳くらいになってからではないだろうかと妙な理論を打ち立ててみたくなるほど若者が幼く見える。

そのくせ、妙にこまっしゃくれており、小学生でも中学生でもテレビのインタビューに堂々と応えたりしている姿は一種異様な感じすら覚えてしまう。

カメラの前で受け答えする内容は、自分が小学生や中学生だった頃と比較して信じられないほどの完成度で、誰かがシナリオでも書いているのではないかと疑いたくなることもしばしばだ。

そのまま育てば、さぞかし立派な成人、大人、社会人になるだろうと頼もしく思えるのだが、どこでどう間違えるのか、どの時点で成長が鈍化するのか、高校生くらいからちょっとおかしなことになってくる。

自分が同年齢の頃は、悪く言えば反抗的で、良く言えば子供なりに自立の道を模索しており、親離れの準備段階に入っていたように思う。

ところが今の子は親の言うことを良く聞き、敷かれたレールの上を何の疑いもなくただ進むか、反抗するにしても部屋に引きこもったりニートになったりと内に入ってしまい、家庭内暴力で精神的にも肉体的にも親を傷つけるくせに家を出たり放って置かれることを拒絶する。

そんなに反抗したければ親の作る食事に手を出さず、自分で作るか外食するか、バイトでもして自分で生活すれば良さそうなものだが、部屋の前にそっと置かれる食事は毎回たいらげるという矛盾。

精神的レベルは幼稚園児かそれ以下でしかない。

男の子、女の子を問わず、大学生になっても見かけは妙に幼い。

パッと見は高校生か、中には中学生にしか見えない子もいる。

一昔前、バブル華やかりし頃の女子大生といえば、何とも淫靡なニュアンスを含んでおり、オッサンが金にモノを言わせて高級外車に乗せて連れ回したりしていたものだが、自分がオッサンになって女子大生を見てみると、決して性の対象になどならない単なる子供にしか見えない。

見かけだけではなく、精神的にも幼いままで中学生や高校生程度の感性しか持ち合わせていない子も多いように思う。

単純な例を挙げると、現、松任谷由実、旧姓は荒井由実が自分の存在を世に知らしめた 【あの日にかえりたい】 という楽曲をリリースしたのは 1975年で、同年にはバンバンというフォーク・グループに 【『いちご白書』をもう一度】 という楽曲を提供している。

その詞の内容、世界観は卓越した才能によって構築されているとはいえ、当時 21歳だった彼女の内の内たる部分から湧き出しているものだろう。

ひるがえって当時の荒井由実と同じ21歳であり、携帯世代の申し子と呼ばれる西野カナの詩の内容、世界観は実に浅く狭く、どの楽曲の詞をみても 「会いたい」「会えない」「会いに行く」「やっぱ会えない」 などと、妙に会いたがる女の子しか登場しない。

実のところ、彼女が成人しているとは外見だけでは信じられなかったし、今でも中学生くらいにしか見えないし、精神年齢も昔の中学二年生の夏休みくらいなレベルだと思われる。

当時の荒井由実と現代の西野カナには外見的にも精神的にも 10歳以上の年齢差があるのではないだろうか。

最近も AKB48のメンバーに 20歳以上の女の子が何人も含まれることを知って腰を抜かさんばかりに驚いたところだ。

どこからどう見ても子どもが学芸会の出し物として演じているようにしか見えなかった。

もちろん、自分がオッサンの領域に入って久しく、その年齢差から若者が幼く見えるのであろうことは否定できないが、現代っ子の成長速度が著しく鈍化し、いつまでも大人になれていないのも少なからず要因となっていると思えてならないのだが、果たしてどうだろうか。

最近の若い者は

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