どこかの大学の何とかいう先生が言っていた。
ネットに未来はないと。
これはインターネットという産業、またはその技術、その可能性を否定したものではない。
論点は、すでに文章化され情報化されてしまっているものはすべて過去のものであり、そこに未来など存在しないということで、つまりはネット上でいくら検索しまくっても、どれだけ時間を費やしても未来を知ることなどできないということである。
確かにそれはその通りであり、ネット上には何らかの予定なども掲載されているが、それらはすでに決定していることであって、テキスト化されてネット上にアップロードされた段階で過去に決定したことを公開しているのに過ぎない。
そして、そこからは、その予定が天災、人災によって中止されることなく無事に始まり、無事に終わるのかまで知ることはできず、仮にその予定が無事に始まり滞りなく終了したとして、それがいったい何になるのか、参加した人に何をもたらすのかなど知るよしもない。
一寸先は闇であり、ネットに限らず未来を知ることなどできないのは世の常であって、そんなものは至極あたりまえのことであるが、ネットには未来がありそうで、バーチャルな空間を漂っていれば未来を見通せるのではないかという錯覚に陥りやすいのが危険なのである。
今後、どれだけコンピュータの性能が向上して処理速度が速くなろうと、世の中の Web ページが 1億ページ、1兆ページ、1京ページ、いや、漢字文化圏における最大単位である無量大数というページが作成されたとしても未来を知ることはできないだろう。
従って、未来のことが知りたくてネット空間をさまようのは時間の無駄でしかない。