デジタル化の波 ~目次~
文字のデジタル化、音楽のデジタル化、映像のデジタル化と時代は進んでいる。
文字は扱いが簡単で保存容量も大きくないので、コンピューターの登場とともにワープロ、パソコンで文字を入力し、フロッピーディスクと呼ばれる最大で 1メガバイトほどの記録媒体への保存が可能になり、普通の通話と同じ電話回線を利用して通信することで遠隔地への送信も可能になった。
手書き文書と違って編集も簡単で、誤字脱字などあれば簡単に修正することができるし、それをパソコンでレイアウトして印刷することも可能なので出版業界は革命的に仕事が楽に、そして速くなり、新聞、雑誌の締め切り時間も印刷ぎりぎりまで延ばせるようになったのである。
次にデジタル化が進んだのは音楽で、1980年を境にアナログのレコードからデジタルの CDへと、わずか数年という短い期間で一気に置き換わった。
アナログのほうが音質が良いのは確かなのだがレコードは取り扱いが面倒で、少しの傷やホコリで雑音が混じり、深い傷になれば同じ箇所が無限に再生されたり音飛びが生じたりしたし、レコードの樹脂は高温になる場所、例えば自動車内に置いておくと熱で柔らかくなって変形したりしたものだ。
ところが CDは一定程度までの熱にも強く変形しにくいし、多少の傷や汚れがあっても、例えカッターで表面を切ったとしても問題なく再生できるという利便性、耐久性に優れており、そもそも CD(コンパクト・ディスク)というだけあって小さいので保管も容易になった。
そして、何よりデジタル化されたことによって容量の圧縮も可能になり、小さな機器に何千、何万という曲を録音することが可能になったので自動車内からあふれていたカセットテープが消え、ウォークマン世代も荷物を減らすことができるようになったことからも音楽のデジタル化が一気に進んだのも不思議ではない。
次にデジタル化が進んだのは映像だが、データ容量が大きいため最初は静止画、つまり写真が先にアナログからデジタルへと移行した。
それによって新聞、雑誌社がどれだけ便利になったかは以前に書いたので割愛するが、その恩恵は一般の我々も享受できている。
昔の修学旅行、社員旅行などで撮られた写真は、数日後に簡易的なアルバムに番号入りで回されて来たもので、ほしい番号を胴元というか、その写真を管理する側に知らせ、受け取った管理者はそれぞれの必要枚数を写真屋さんで焼き増した上で希望者に配って歩き、後に代金を回収したものだ。
ところが今となってはそんな手間は必要なく、ネット上に写真を掲載しておけば写真がほしい人は勝手にデータをダウンロードするなり印刷するなりすれば事は足りる時代になった。
回線の高速化、データ圧縮技術の高度化によって動画すらインターネットを使って送受信可能となったことで、今まで見たこともないような映像を見られるようになったのはここ数年のことだ。
ロシアの上空を通過する隕石、その直後の衝撃波のすさまじさ、あの東日本大震災の津波の恐ろしさ、台湾の飛行機事故などなど、報道カメラではない一般市民の撮影によるスクープとでも呼べるような映像が世の中にあふれている。
それもこれも映像のデジタル化によって撮影が容易になり、データ圧縮技術、メモリーの大容量化によって保存が可能になり、ネット回線の高速化とインターネット網の発達によって配信が可能になったことで全世界で映像を共有化できるようになった訳だ。
とても便利な世の中になったと思うが、同時にマイナスの影響も出始めている。
最近話題になったのは川崎中一殺害事件で逮捕された 18歳の主犯とされる少年、17歳の少年の顔写真、氏名、住所までがネット上で公開された件だ。
この狂った世の中において、最近では残忍な事件が発生しても客観視していたり、あくまでも他人事として受け止めることが圧倒的に多くなっていたが、これはなぜかニュースを見ていても極端な嫌悪感、そして怒りを覚える事件だった。
容疑者が未成年であろうと更生の道などという甘いことを言わずに実刑をくらわせるべきだと怒りに震えながら思ったりしていたが、だからと言ってネット上にプライバシーを公開するのはいかがなものか。
一応はコンピューター業界に身を置いているので早くから騒ぎになっていることも、ありとあらゆる情報が公開されていることも知っていたが、そういうたぐいの情報には興味が無いので少年の顔写真も、その他の情報も一切見ていない。
以前にも 『酒鬼薔薇事件』、『光市母子殺害事件』 など、大きな事件がある毎にネット上には事件を起こした少年(当時)の素顔や住所等が公開された。
彼らが本当に精神的に未発達で、教育や訓練によって更生できるのであれば、このネット社会でその後の人生を歩むのは極めて困難と言わざるをえない。
どんなに引っ越しても誰かに気づかれて、今の容姿を撮影され、住所などを公開されたら就職したり生活するのは難しいだろう。
そして、ネットの怖い点は、一度流出した情報は消すことができず、いつまでも拡散し続けることにあり、公開された側は二度と元の生活に戻ることはできないことにある。
どんなに法規制、罰則が厳しくなろうと止めることはできない。
高度に発達した便利な社会、その道具は使う側の良識をも試しているようだ。