デジタル化の波 ~目次~
写真や動画のデジタル化は社会を大きく変えた。
ネット環境が急速に整い、大容量なデータを高速に転送できるようになったことも大きな要因だが、その技術革新によって世の中はずいぶん便利になったものだ。
どこでも手軽に、そして簡単に画像を撮影し、電波さえ届いていればどんな場所からでも、そして国内はおろか地球の裏側にさえ短時間でデータを送信できる。
その画像にデジタルな文章を添えれば記事の出来上がりとなるのだから新聞社などは劇的に仕事が楽になったことだろう。
昔、映画の配給会社などは文字通り 16ミリや 35ミリフィルムを物理的に配給していたが、今となってはデジタルデータを転送すれば良いのでマスターフィルムから転写する必要もなければ何日もかけて輸送する必要もない。
そして、海外の作品に刻む字幕もデジタル処理できるので以前のようにカリカリと手作業する必要がなくなり、職人さんは仕事を失ってしまっただろうが作業時間は劇的に短くなっただろう。
そもそも動画自体をコンピュータ・グラフィックス(CG)で作成できるため、どんな危険なシーンでも作り出すことがきるのでスタントマンの仕事も激減したのではないだろうか。
どんな生き物だろうと、どんな乗り物だろうと、どんな風景だろうと CGで作成できるので最近の映画は昔では考えられなかった演出や映像を楽しむことができるのだが、技術の進歩に反比例するように映画がつまらなくなっているような気がする。
人の手によって物理的に作られた物の質感とか温かみなどは CGで表現することができず、映画に血が通っていないように感じてしまうのだろうか。
昔の修学旅行、社員旅行では数日後に撮られた写真が回されて来たもので、ほしい写真に自分の名前を書いたり印鑑を押したりしていた。
胴元というか、その写真を管理する側は記された名を数えて必要数を写真屋さんで焼き増し、希望者ごとに必要な写真を振り分けた上で配り、後に代金を回収したものである。
今となってはそんな手間は必要なく、ネット上に写真を掲載しておけば写真がほしい人は勝手にデータをダウンロードするなり印刷するなりすれば事は足りる時代になった。
それはそれで便利この上ないのだが、人間関係が希薄化してしまうようで少し寂しい気もしないではない。
デジタル技術は社会や時代を変え、とても便利になっていくし、自分もその業界の片隅にいたりするのではあるが、どこかに不安やさみしさを感じてしまうのはなぜだろう。
きっと時代の流れ、技術の進歩があまりにも早く、感覚的について行けない年齢になりつつあるのも一因であると自覚はしているのだが・・・。