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大阪に生活の基盤をおいて 13年目となり、当初は聞き取れないことも多かった大阪弁にもすっかり慣れた。 身近にネイティブ大阪弁の人が少ないので、自分で大阪弁を話すまでには至っていないが、アクセントやイントネーションは大阪に近くなってきているようである。

最近でこそ全国放送のテレビでも関西弁は珍しくなくなったが、以前はタレントさんも言葉を標準語に矯正されていた。 一般に標準語とは東京の言葉と思われがちだが、厳密には違うらしい。 江戸の時代から地方出身者が多く集まり、それぞれの言葉が調和して平坦になったものが 『山の手』 言葉として存在し、生粋の東京人が使うものは江戸弁として存在していた。

人の寄せ集めの街で自然形成された言葉が東京語であるため、地方出身者にも理解しやすかったのだという。 その東京語は過去に一度も固定化されたものがなく、時代や人と共に常に変化してきたものらしい。 では、なぜ固定化されてもいないものが標準語になったのかと言えば、当時の日本が軍国主義だったことが大きい。

軍隊組織の中で方言が飛びかうと意思の疎通が図れず、任務遂行に大きな影響を与えかねないため、富国強兵策の一環として標準語普及の運動が大々的に進められたのだという。 その陰で方言撲滅運動が展開され、地方によっては小学校で方言の使用を禁止することさえあったらしい。

寄せ集め言語のくせに 「東京語は全国の手本」 というこの運動は、地方への差別意識を強烈に助長し、それは戦後になっても根強く残ってしまった。 特に東北弁を軽視する傾向が強く、一時期は映画など外国ものの吹き替えで黒人が東北弁を話しているようなことが公然と行われていた。

先に書いたように最近のテレビでは関西、広島、九州地方などの方言を聞くことが珍しくなくなったが、東北弁を聞く機会が少ないのは、当時のいわれのない差別が今でも尾を引いているものと推測される。 今でも少し人を馬鹿にしたような訛りを表現するときは東北系の言葉を使うことが多いのもその流れなのであろう。

自分は東京に住んだことはないが、住みたいとも思わない。 まして東京語など何するものぞといった感じだ。 以前、石原裕次郎主演だっと思うが、かなり昔の映画を観ていて、気持悪くなったことがある。

その時のシーン
石原 : 「泣くのはおよし。さあ、笑ってごらん」
女優 : (涙をこらえて笑う)
石原 : 「ほら、できるじゃないか」
ん、んな~にが 「できるじゃないか」 だ!! 尻のあたりがムズムズと痒くなり、気持悪くて一人でのた打ち回ったものである。

テレビドラマや映画を観ていると、女性言葉の語尾に 「~だわ」 とか 「~かしら」 、「~なのよ」 と付くが、これは標準語だけではないだろうか。 言葉の語尾で男性、女性が明確に判別できる方言などないように思う。 これは、東京語の元である山の手言葉の時代から存在したものなのだろうか。 それとも、文章で表す際に男女の使い分けをしやすいように後に開発されたものなのか。

今はテレビやインターネットの発達で中央も地方も同時に情報が共有できる時代である。 移り変わり、交じり合う東京語が方言を吸収し続け、それが電波や信号に乗って地方に発信されていく。 数十年後には 『お国訛り』 などなくなってしまい、日本全国が訛りの集合体である標準語に統一されている可能性も否定できない。

それはそれで少し寂しい気がするのは自分だけだろうか。

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